2004年2月28日  午前8時〜10時ころ
倉敷市玉島 中央町・阿賀崎・仲買町


玉島の町と港が見たくなった。


(倉敷市立玉島図書館前の公園の橋から見る、池の感じだが潮の匂いがした。海水混じり)

港と町と川と、そして水路か池か不明なとこに沿って建つ民家を見たくなった。



新倉敷駅から南に向かって走る。
天気よし、花粉なし。







玉島は備中松山藩の飛び地。
松山藩の港として出来た町。



海からは北前船がはいり、川からは高瀬船がはいってきていた。高瀬船は船尾あたりの通しで高梁川にはいり西は井原付近、北は勝山まで行き来していた。

とにかく古くから港で栄えた町。








鉄道が明治20年代に敷かれる時、笠岡は港の岸壁に沿って敷かれ。福山は本丸の下を敷かれた。どちらも町の中心・ど真ん中。
その対極として小学校の授業の時から聞かされるのが「玉島駅」。

玉島の町からおよそ2キロくらい離れている。












今、「玉島港」とは昭和40年代から建設がはじまった乙島。玉島ハーバーランドとか、そこが玉島港。
だから古い玉島港は「旧玉島港」と呼ばれている。



旧玉島港にはヨットなどが係船され、その向こうには水玉ハイウェイの「源平大橋」がある。

「平家物語」で語られてないのが原因か?
水島の戦いは知らない人が多い。平家側が源氏に勝った最後の戦。このあたりであった・・・んだろう。







つぎ・玉島2








2004年2月28日