2004年2月21日 午前10時10分〜午後3時00分
笠岡市六島


♪おっいっら岬のぉ〜灯台守ぃは〜妻と二人ぃで・・・♪


♪沖行く船のぉ・・・♪                (多数の船が航海している、でもデジカメでは写らない↓)



えいちゃんはこの歌を唄いながらこの島にやってきた。この灯台にやってきた。

六島といえば「六島の灯台」。これ一本。
だが、それはあくまで、えいちゃんの心に限ったことかもしれない。

えいちゃんは過去50年近く、そう思っていたんだがそうでない人が多いようだ。






喜びも悲しみも幾歳月(いくとしつき)

作詞・作曲:木下忠司
唄:若山 彰

1 (おい)ら岬の 灯台守は
  妻と二人で 沖行く船の
  無事を祈って ()をかざす
  灯をかざす

2 冬が来たぞと 海鳥(うみどり)なけば
  北は雪国 吹雪の夜の
  沖に霧笛が 呼びかける
  呼びかける

3 離れ小島に 南の風が
  吹けば春来る 花の()便(だよ)
  遠い故里 思い出す
  思い出す

4 星を数えて 波の()きいて
  共に過ごした 幾歳月(いくとしつき)
  よろこび悲しみ 目に浮かぶ
  目に浮かぶ

この歌は、若山彰の迫力のある歌唱と相まって大ヒットしました。
 昭和32年(1957)に製作された『喜びも悲しみも幾年月」は、実在の灯台守の妻・田中キヨの手記に基づいて作られたものです。灯台守の夫婦を佐田啓二と高峰秀子が演じました。夫婦は、昭和7年(1932)の神奈川 県観音崎灯から始まって、北海道から九州まで各地の灯台を転勤して回ります。その間に家族が味わった哀歓や同僚たちとの交流がテーマになっています。
 





この歌が唄われているころ、全国の灯台には灯台守がいた。
この歌・映画で隠れた職業灯台守は認知はされたけど。
それから数年してあっという間に灯台は無人化されてしまった。
灯台守は消えてしまった。




この映画の主人公は昨年亡くなられた。新聞の隅っこに載っていた。
引退後、福島県いわき市にお住まいで地元では署名人だった。「塩屋崎灯台」と「たなかさん」は有名だった。
(えいちゃんも、塩屋崎灯台と灯台のしたの薄磯海岸が大好きだった。)









以前、親が灯台守の人と同僚だったことがある。
それはもうすさまじい転校の経歴だった。

鹿児島から北海道まで。
鹿児島市から札幌市まででは無い。

鹿児島県○○島から北海道××岬、東西南北の孤島から僻地への転校の連続。











映画「喜びも悲しみも幾年月」を見て涙した婦人たち。この頃は映画人口史上最大。笠岡市内映画館6〜7数の時代。

灯台と灯台守のイメージを重ね、この六島観光に訪れた。婦人会の旅行といえば「六島」、わたくしの母もそうでした。




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2004年2月21日