2004年2月1日 午前9:00ころ
笠岡市中央町 遍照寺多宝塔


住宅地か?商店街か?

ビルか?民家か?

それもなにもさっぱりわからない、意味不明の笠岡の町中にお寺の二重の塔が残っている。






仁王堂の道はお寺の崩れそうな白い塀がつづき、その道には年輪を重ねた松の木が左右に並んでいた。
遍照寺とその多宝塔はひときわ重い雰囲気をただよわせてはいた。





映画の全盛期。


「笠映」があった。
「笠映」のすぐ裏に「太陽座」もあった。

太陽座の横は狭くお寺の壁に接していた、自転車もとおらないくらい狭かった。









「笠映」ははやばやと映画上映をやめ、スーパー「和信」になった。今「ワシン」。

そして遍照寺も市民病院の裏のほうへ移転してしまった。








街中はますます意味不明をます、のをとおりこして衰退していった。

このあたり、ワシン以外の店で客の出入りを見ることのできる店はない。










多宝塔と銀杏の木がもとのまま残されている。

なぜか知らぬが遍照寺の銀杏は市の木になった。笠岡市の木は「銀杏」、熊本みたいだな。それとも東大か?




遍照寺の跡地は「いちょう公園」となり、笠岡中央ビルという8階建ての住宅ビルがとなりにある。
そのビルの8階まで昇ってみた。
屋上は立ち入り禁止だった。


8階から笠岡の西方向。




8階から笠岡の北方向。
笠岡小学校、笠岡商業高校、笠岡高校が見える。




真下には多宝塔。
お寺だけは上からみても魅力ないな。
地上から見ることを前提にして建造されているんだ、見ながらはじめてそのことを感じた。





『岡山県小田郡役所』

その場所・跡地へ走るのが今日の目的だったが。
行ってみたら女子寮で門が閉まりはいれなかった。



笠岡市八幡平 「岡山県立 笠岡高校・笠岡商業高校・笠岡工業高校・鴨方高校 女子寮」


日曜日の朝、門は閉まり人の姿も生活風景もなにもなかった。
でも何故、地元の黎明高校を除外しているんだろう?





つぎ・栂の丸








2004年2月1日