2004年1月2日 午前9:30ころ
笠岡市中央町 県庁通り
失ってから、(無くなった後で)その存在に気づくもの。
笠岡市でいえば旧市街地と笠岡湾。
この二つに尽きる。
県庁通は無かった。
笠岡駅から市役所へつづく一直線の道路、およそ300mくらいの通。
県庁通が無いとき笠岡駅に汽車やバスで降りた人は、細い道を右に廻り左に折れたりしながらして市役所に行った。
今、一直線。
タクシーも消防車も通ることができないので広い道を作るのは市民にとっても、住む人にとっても「悲願」であった。
20年以上の年月をかけて完成したのが県庁通。
県庁通ができて失ったもの。
商店街・門前町。
商店街は店があたらしくなり、道路もできるので客を呼び込める予定だった。
12/30、ランニング中にスサキ通をとおったが魚屋の前で客一人みただけ。
すさまじいばかりの退廃だった。
門前町が消えるのは予定されたものだが、やはり消えてみると「あれが笠岡そのもの」だったな、と思う。
笠岡は以前ごちゃごちゃしていたがあれでよかった面があった。
ちいさな町なんであっちにいったり、迷ったりしてもしれていた。
あのごちゃが人の賑わいを演出していたように思う。
通りには芸術品がある。
石の彫刻。それが何メートルおきかに置かれている。
市内ではただ一箇所電柱のない場所でもある。
駅前には10数人の男性がいた。
年齢や服装などから見て、ボート場行きのバスを待っているんだなと思った。
児島競艇行きの無料バス、と予想していたが違った。
「まるがめボート」の垂れ幕が付いたバスが来てそれに乗って行った。
駅前から二番目の信号。
そこをバスは左折して各地へ行く。
県庁通のつきあたり県庁門。
一ヶ月くらい前のことだろうか?
県道井原線に「笠岡市役所→」と看板がある県道沿い。
長い赤い色の倉庫が壊された(解体された)
この写真に写っている箇所だけが残されている。
(県道の裏側、表は更地とコンクリートの基礎ができている)
永山酒店の倉庫。
あっという間にこわされていた。
一角にみごとな下り松がある。↓。
この松と倉庫一部だけは永山さんは残すのだろうか?
それとも2期工事で倉庫は完全になくなるのだろうか?
2004年1月2日