2004年1月1日 午前7:50〜11:00ころ(八神社参り)
笠岡市 @春日神社〜A笠神社〜B福富稲荷〜C茂平八幡様〜D用之江菅原神社〜E大宣〜F吉浜天神様〜G葛城神社



D用之江菅原神社(笠岡市用之江)

おお、なつかしや菅原神社。
あまりになつかしい用之江のお宮。


この石段を登るのは・・・・・・・・・・なんと・・・・・・・もう・・・・・40年以上も経っている。



菅原神社は遊び場だった。

えいちゃんたち城見の子供の遊び場。
神社は城見小学校の第二校庭同然だった。


えいちゃんは兄弟でただ一人就学前に保育所に行っているので、保育所から小学校をでるまでこの神社で遊んでいた。期間は長い。


幼児の鬼ごっこ、
高学年の図画、相撲
すべてこの境内でのこと。

ここに来れば涙がでるほどなつかしい。(出ないけど)


お賽銭をして神社の中を見上げた。
六月さんの寄付が掲げられていた。



なんとゆうても城見小学校からは二人の大臣が出ている。
武徳さんと六月さん兄弟が大臣になったのは大きい。


その後、城見小から金浦中学行った時のこと「城見かぁ。」
見下げた顔で言った、言われた。
あの言葉は言った方も言われた方も実感していたんだから。







城見は三つの部落で構成されていた、茂平・用之江・大宣。
今城見小学校の学区は茂平・用之江・大宣の他に城見台・西茂平がある。
住民はいないけど平成町・鋼管町も学区内のはず、それほど変わってしまった。




E大宣は茂平から遠かった。
茂平にとっては大津野のほうがなじみがり、大宣にとっては金浦のほうがより近かった。
用之江はいつもその中間で、結局城見の公共物は全部さらっていた。


大宣のお宮↓、えいちゃんは名前も知らない。







F吉浜の天神さん(笠岡市吉浜)

遠足のメッカ。
笠岡市の中・西部の小学校でこれほど変わらない遠足地はない。


父も行った、えいちゃんも行った。
そしてえいちゃんの子供も行った。




旧道から神社までは石の夜灯がつづく。
笠岡市内の神社ではいちばん多いだろう。


眼鏡橋。
6月あやめがこの橋の下の池に咲くと新聞に載る。
恒例記事というより新聞社のマンネリを感じる。
新しいもの、隠れたものを探すのが新聞社の仕事なんだが。






G葛城神社(笠岡市大河)

8番目の神社は数あわせ。
ハイランド近い大河の神社へ行った。
行くというよりは寄る、寄って「8」の数を合わす。





こうして無事8神社参りはおわった。時計は11時を少しまわっていた。



「八神社参り」は2年ほど前に知った言葉。母から聞いた。

昭和17年5月、後月郡西江原(井原市)から小田郡茂平(笠岡市)へ嫁いできたばりの頃、
割烹着に「国防婦人会」のたすきをして八つの八幡様へ「武運長久」を祈願して歩いた話。
時節柄、日本全国何処でもそうした事が流行っていた。

今日のえいちゃんの8神社参りは八つの八幡様ではない。
神社であればそれでいい、と走った。
「武運長久」ではなく「走り」が目的だったから。





つぎ・県庁通







2004年1月1日