2003年9月23日  午前7時30分ころ
笠岡市大宜


「国道2号線」
「国道2号線・城見随道」


城見区域の2号線が出来たのは僕が小学校の5・6年生の頃だろうか?
大宜にトンネルができた。

トンネルは珍しくて大宜の新名所。大宜の自慢。
それで見に行った。
トンネルうえから道を見ると何分に1台かの車が走ってきていた。道が舗装されたのはその数年先。





城見最大の池。
大宜の「大池」。

えいちゃん中学時代、この池で何度か泳いだ。

【浮かばない】
あたりまえだが、浮かばない。

えいちゃんは海でしか泳いだことがなかったのだ。


泳ぐのがしんどい、浮くのがしんどい。
ひとつだけいいこと。潮が身体につかない、にちゃにちゃしない。




かつて大池の土手では日本刀を振りまわした男がいたそうだ。

終戦直後、元将校が精神的にまいりココの堤防にきて刀を振りまわした。
その将校はその後、日本経済の立ち直りと共にそれ以上のスピードで偉い出世をしたそうだ。

その当時。大宜の或将校は自宅でひとり割腹自殺をした。子ひとりいた、姉の同級生。


この話しは父と母から何回も聞いた。









「大宜団地」

日本鋼管の福山への進出が決まり、埋立は浚渫土と近郊の山を削りまくった。
真砂土さえでればよし。
大宜のこの山も削られた、そしてそこに団地ができた。
それが「大宜団地」








つぎ・大宜3













2003年9月23日