2003年9月23日  午前7時30分ころ
笠岡市大宜



城見村立城見保育所ができ、えいちゃんは第一期生。
第1期入園の第2期卒園生。

城見村立城見保育所の卒園生はいない。
なぜなら城見村立ではあったが、開所後1ヶ月で城見村は消滅した。笠岡市になった。

ということは姉と兄は城見村立城見小に入り、笠岡市立城見小を卒業したことになる。
そういうことで僕は兄弟でただひとり就学前に保育所にいった。






城見小学校の同級生は62人ほど。
これが意識的にもえいちゃんの幼馴染となる。



まさ君。
高校の時、彼の父は「鉄道大学か、岡山大学かどちらかに。両方だめなら就職。」そう言っていた。彼は大映の市川愛蔵の映画を愛していた。
岡大に進学した。会計士・税理士を目指していたが断念、役所勤務をしている。










つね君。
家は鍛冶屋、お母さんは稲垣病院の看護婦をしていた。
道路から真っ赤な火が見えていた。童謡「村の鍛冶屋」と同じ、しばしもやすまず・・。
仕事で会うことがある唯一の同級生。









ゆう君。
小学4年か5年の時、日本脳炎になった。同級生全員で彼に見舞い状を書いた。
どこにでもボウフラがわき蚊と蝿が飛び回っていた、怖かった。
彼の父は名士だった。










まあ君。
呉にいる時、まあ君が僕の職場にきたことがある。仕事中ではあったが同級生の訪問は嬉しい。
「日生のおばちゃん」
彼の母はソレをしていた。その運転手で来ていた。
当時、彼は岡大5年生、それで車持ち。ドライブがてらに来て「保健の勧誘」にいくらかの反感もあり、はいらなかった。












やよいちゃん。
やよいちゃんは田舎の素朴な顔をしていた。
やよいちゃんが怒ったり怒られたり、そういう顔は一度もなかった。
やよいちゃんは金中でて就職した。











ようこちゃん。
ようこちゃんと城見小6年2学期クラス委員をした。
ようこちゃんは可愛かった。
2年前、高校の同窓会で会ったようこちゃんはもっと奇麗になっていた。
「ようこちゃん、親同士も仲がよかったから。ひょっとしたら二人は結婚していたかもしれないね?」
「そうねえ。??」
ようこちゃんは横島で幸せそう。









のりちゃん。
のりちゃんの家はためのりの隣で商家をしていた。
中学の時、「朝、パン食の人はいますか?」
クラス58・59人のうち二人いた。そのうちの一人がのりちゃんだった。2人いるいうことと、城見出身者がいるゆう事に驚いた。
のりちゃんは色白で背も高かった。
東京の青山学院大学に進学したが卒業まもなく死んだ。














つぎ・御岳山@A














2003年9月23日