2003年8月28日  午前6時30分ころ
笠岡市笠岡 笠岡商業高校


笠岡市内には高校が4校ある。
「名門」という冠を、もしつけるとすれば。それは笠岡商業をおいてない。









開校以来100余年、幾多の生徒がこの坂道を歩いた。
数々の有名・著名人を輩出し・・・・・。
と、ココまで書いて文章は途切れる。

??誰がいたかな?想い浮かばない。







頭をしぼりだして笠商出身者を思いおこす。

山下勝治教授。神戸大学教授、企業会計原則の権威。(但し、えいちゃん学生時代の当時)
富士銀行桑田常務。高松経専卒。富士銀常務からP社の副社長になった。(但し、昭和49年ごろの事)
俳優伊吹剛。
笠岡初代の小野市長。
ここまで。



KSDランナーズクラブ員、1名。

えいちゃんの親族、1人。父の弟のみ。4親等以内に1人いるだけ。







名門とはいえ古いなごりを残す建物はない。それはどの学校も似たようなもの、コンクリートの建物に変わってしまっている。

上の写真に見える学校正面の石の門、これだけが現存している。











「かさしょう」または「しょうぎょう」と呼ばれる。

僕の親の世代は「笠商」と呼んでいる。
僕の世代は「商業」と呼ぶ。
今の若い世代は「笠商」かな?














「淡い初恋」

えいちゃん金浦中学生。思う子がいた。
彼女と同じ高校になりたいと思っていたが、合格発表・彼女の名前は笠岡商業に載っていた。
高校生、町でセーラー服の彼女の制服姿を見かける時、えいちゃんの胸は鼓動した。
それから。
彼女は大手銀行福山支店へ勤務、銀行員と社内恋愛して結婚したそうだ。

彼女との会話、一度もない。「淡く」もないし、「初恋」でもない。勝手に思いこんで遠くからあこがれていただけ。あほらしく、もある・・・・・はつこい。















そういえば笠岡4高校は市民評価がほとんど変わっていない。

「しょうぎょう」は堅実・まじめ・良質、しいて言えば進学者が多くなったのが変化。
「こうぎょう」開校以来レスリングが強いのも変わっていない。電気・機械・土木の3学科に増減なしは化石。
「じゅんな」、今、「れいめい」。おとなしい、すなお。名前と共学への変化があった。
「ちどり」、または「ふつうか」、ちまちま勉強。大学進学のレベルはほとんど変化なし。

参考までにお隣、広島県福山。こちら激変。
えいちゃん時代と比較する。

誠之館。県立第一の名門→ただの高校。場所移転。
いよう。県立第二の高校→ただの高校。場所移転。
盈進商業。県立を落ちた人が行っていた→進学高校。場所移転。
増川。県立を落ちた女の子が行っていた→今、不明。しりません。
暁星。金持ちの女子、笠岡高と入試難易は同レベル→高レベル化。
電波。県立受験にはほど遠い男子。→進学高校。名前変更・近代付属。
門田。県立受験にはほど遠い女子。→場所移転。公立化。福山市立高校。
広大付属。超進学高。→変化なし。場所移転。
神辺農高大門校。のんびり。→廃止(神辺本校へ統合)
福山商業と福山工業は変化なし。
大門高。なかった。
明王台。なかった。
銀河学園。なかった。
英数学園。なかった。
ものすごい変わりよう・・・評価と場所移転と新設高校あり・・・が書いていてわかる。













↑。笠商高へ通学する人ほぼ全員が歩いたり、自転車に乗って通う道。
「笠商小路」とでもいえる道。正面は旧・電電公社ビル。









つぎ・笠岡市正頭













2003年8月29日