2003年12月28日  午後2時ころ
笠岡市六番町 笠岡市立竹喬美術館



静寂感ある竹喬美術館。






なぜなら誰も見物には来ないから。
美術館駐車場には車1台とまっていない。日曜日の2時でもこうだ。





館内はいつも見物人よりも職員数のほうが多い。
それが笠岡市立竹喬美術館。

それでも館内入り口には門松を出し来館者を待っている。






「故里の誇りをつくろう竹喬美術館」と、市民の寄付をもとにこの美術館は建設された。
そこまではよかった。
そういう時代であり、市にひとつ美術館がないと格好がつかない時だった。





立派な箱ものはできあがった。
中に展示するものがない。

建設ありきだった。

竹喬画伯は少年期まで笠岡にいたが絵を書いたのはすべて京都。
京都に住み、日本画の大家となった。
だから絵はほとんどが京都を中心に保管されている。




(笠岡図書館まえから東方向、右手に竹喬美術館)



笠岡市に限らず何処の市の美術館もこんなもん。
建物に比して肝心の中味があまりに貧相な美術館が多すぎる。


結果をいえば近辺に一つくらいあればよかった。
井笠地方に一つ。

そこに竹喬・田中(でんちゅう)・華鶏(はなとり)などを統合した美術館があればよかった。




結果は既にわかりきった時代になっていたのだが笠岡市は竹喬美術館を増設した。
昨年完成した増設棟(写真うえ、右手)。

新設の際は市民の総意のようなものがあったが、増設については誰も関心がなかった。
行政と議会がかってに増設してしまった。



客が来ない店は閉じる、または倒産する。それは古今東西世の常。
客が来ない館が増設する。市長・市議は脳をヤラれているに違いない。



つぎ・大島中学








2003年12月28日