2003年12月28日  午前7時50分ころ
笠岡市西大島新田 津雲貝塚



霜が降りた冬の朝の畑。

でえこん(大根)が何本も捨てられている。









だがこの畑こそ「笠岡」の名を全国に轟かせた”津雲貝塚”の跡地である。






貝塚の跡地であるが、掘り出したもので
ここに残されたもの。
笠岡に残されたものは何も無い。






えいちゃんがまだ横浜に住んでいた頃だから、もう20年以上も前の話。

上野の国立博物館に行った。その玄関をはいるといきなり津雲貝塚が展示されていて「笠岡」とご対面、えらく感激した記憶がある。








貝塚址の畑から南方面をみれば大島と神島の山がみえる。
そして手前には江戸期の干拓地・西大島新田がひろがる。


その地形からみてこの貝塚には2000年前、さざ波が打ちよせてきた海辺であったことは容易に推定することができる。


















大島中、寄島へ行く道。
その道沿い、左手にぽつんと見過ごすような案内板があるだけ。





つぎ・竹喬美術館








2003年12月28日