笠岡市金浦(鉄北)
2003年12月7日 午前9時半頃
「新川」、金浦を流れる川。
「新川(しんかわ)」は市内地図にもその名はない。地図上は「吉田川」
小学生の時、市民病院に盲腸手術で入院した母を見舞いにこの川の道をあるいたことがある。
当時、笠岡市民病院は金浦にあり木造平屋だった。
中曽根美樹の歌「川は流れる」。
♪わくら葉を今日も浮かべて、町の谷、川は流れる・・・♪
金浦中学生になったえいちゃんが見る金浦は「町」だった。
「川は流れる」の光景とはこういう感じ、それが金浦の新川だった。
金浦のまんなか、久我邸のうしろ付近。
家々が並ぶ。タイヤキ屋では客はいないが焼いていた。
金浦といえば「久我邸」。
久我邸の前が空き地になっていた、それでこの角度から写真が撮れた。
金浦のメイン道路。
金浦中学生のえいちゃんにとっては「光、輝く」金浦の町・・・であったが・・・今、ポツンポツンと家の跡が駐車場になっている。
この金浦のメイン道路沿いには同級生の商家もあった。
「F時計店」
「F酒店」
「U美容院」
うちU美容院は元気に営業している声が聞こえた。
「金浦座」という映画館があった。
同級生の話では、
「椅子は長椅子なんじゃ。」
「中は蚊がとんどる。」
とか言われていたが、いちおう毎晩上映されていた。えいちゃん行ったことはない。
後年、この映画館主と奥様には仕事でたいへんお世話になった。
いつか聞いたことがある。
「社長、当時の映画仲間で(その後斜陽した映画)いちばん旨くいったのは?」
「福山の藤本、岡山の福武。
福武の葬儀、あれほどすごいのは見たことが無かった。」、この葬儀の模様は何回も聞かされた。
社長は2年ほど前に引退され今、金浦八幡様近くで奥様を看護している。
金浦中学の同級生にSくんがいた。(彼は興譲館高校へ進学しその後会う機会はない。)
或る日、彼の家で昼飯をたべたことがある。
道の前を歩く音、隣家の話し声。それがすべて家中の隣部屋から聞こえる音のように近かった。
これが金浦の町か!
百姓家で育ったえいちゃんにはカルチャーショックに近い「音」だった。
2003年12月7日