笠岡市金浦 (鉄北)

2003年12月7日  午前9時半頃


金浦を分けるもの。
山陽本線の鉄道。

町を二分して「鉄北」「鉄南」、わかりやすい。



このガード下では長い間、老女が魚を売っていたが今もしているのだろうか?
この付近、前からくる対向車が大きいと困る。軽四以外は来ないことを祈りながら運転する場所。



寒空だがのんびり洗濯ものを干すばあちゃん。
海辺の道は駐車と洗濯竿が使用している。

このあたりは「おしぐらんこ」の日はぎゅうぎゅう詰めとなっていた、かつては。
今のおしぐらんこの日はその半分にもとても及ばない。



写真右手は「竜宮壮」の看板になっていた、地区老人の休憩所。
その後ろ、山陽本線が走る、山が迫る。




よおすな。

”「よおすな」じゃあねえ、「かなうら」じゃ”

名前は忘れたがある君がいつも独り言のように言っていた。
よおすなはイコール漁師、そんな感じを市民が持っていた。
港に民家が立ち並び、狭い場所には漁業関係者が詰まるように生活している。
人は魚に例えられ、しかもそれは鯛とかでなく「よおすなじゃこ」。


水路をまんなかに家が並ぶ「ようすな」らしさ。
漁師と鮮魚関係者の家だったがその職業は今はない、そしてこの小道を歩く人の数も減った。



この家並みを歩き走りしていると「おはようございます」と自然に声をかけられる。


「お〜い、お〜ぃ」と声が聞こえる。
「えいちゃん!えいちゃん!」と聞こえる。


振り返っても姿はない。
その声は上からの声だった。

Kくん。
○○とっさん。

彼とは太陽の広場で会う、時々。
日曜日、ダンベルを両手に持って広場の終点折り返しの散歩をしている。

金浦で”○○とっさん”といえば誰にでも通じる。
生粋の金浦人。










日本地図から消えたもの。
「笠岡湾」。

笠岡湾には「金浦湾」と「茂平湾」があった、この二つの湾も同時に消えた。

消えた職業、漁師たちは?
当時既に高齢化していたのと多額の補償金でのんびり生活になった・・・・・のだろう、多分。
(茂平の場合は漁師いっぽんの人はいなかった。半分漁師半分百姓。で、専業百姓になった)





国道2号線、「おしぐらんこの里」の看板。

かつて金浦は「里」なんてものではなかった。「町」だった。


そのうしろ中国銀行金浦支店。
「里」であるからには、この銀行の支店も遠からず去っていくのだろう。










つぎ・森田思軒生誕地







2003年12月7日