2003年12月20日   午前7時50分ころ
笠岡市中央町広銀笠岡支店まえ 森田思軒生誕地



東本通が終わり、向こう側に西本町が見えるところ。





笠岡駅からいえば。
西へ50mも歩いて、すぐ右折する。




そこが笠岡ロータリー。






そのロータリーの角に広島銀行笠岡支店がある。
(実は今、支店から出張所に格下げしている。番町にある笠岡中央支店、あの支店の管轄)



広銀の前に木製の長椅子が置いてあり、その後ろに小さな石碑がたっている。
その石碑には「思軒・森田文文蔵生誕之地」と彫られてある。




森田思軒は明治30年、37歳で病没した人。
ビクトル・ユーゴーや15少年漂流記などを訳したらしい。





笠岡図書館にいけば二つのコーナーがある。

「木山捷平」と「翻訳王・森田思軒」。

なぜ「翻訳王・森田思軒」か?
えいちゃんも知らない、いまどき森田思軒なんて誰もしらない。

知らないから「翻訳王」、そう書かないとわからない。名刺の役職みたいなもの。






笠岡駅まえには黄色いバスがいた。いつものバス、そのバスはまっきいろ。



「いかさ」か?「井笠」か?「イカサ」か?、「いかさ」と言えば「井笠鉄道」のことを言った。
鉄道と区別するためバスは「いかさバス」と呼んでいた。鉄道がない今でも「いかさバス」それは変わらない。

いかさバスは車体が青色だった。それは変わらなかった、いかさバスの色は青。
いったいどおして?




ここ数年、もりあがりいっさいなしの国体。
それは40年ぶりの開催県岡山も同じ、バスの色を変えたって同じ。


2005年開催ならまだ2年ほどある、「おかやま国体」返上したら?
関係者は憤慨するだろうけど、国民は拍手喝采するだろう。




国体に名を借りた道路・箱物作り。
地元応援に名を借りた開催県優勝。

国体がとおの昔にその役割を終えたことは誰でも知っている。



帰り道の井笠鉄道跡の道。
起きた時から小雪が降っていた、すこし積もっていた。




雪は吹雪のように降ってきた、でもここまで帰ればハイランドはもうすぐ。





つぎ・笠岡市コムシティ







2003年12月20日