「しんどて」と「大とう田」


「第二期干拓は、同じく銅山の西北端の砂川附近から、西の谷部落に至る堤防である。
現在は開墾されて民家がならんでいるが、なお新提(しんどて)と呼んでいる。

この区域内を「大とう田」というが、大唐米の栽培地の意味と解される。

この新田は、水野時代の干拓とも伝えられるが、ハッキリした年代は不明というしかない。」

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2000年11月10日


「新土手」は西の谷からココ(家の上の道)のみちじゃ。


「だいとうだ」(「たいとうだ」「ていというだ」)は半鐘のへんからの田んぼ・畑。

(作者記・広い意味では実家の所在地は「大とう田」になる。)

2000・7・16