茂平湾の干拓


元和5年8月、水野勝成が受領した時の茂平村の石高は207石3斗4升であった。
これは慶長検地の石高と考えられる。

慶長検地は有名な小堀新介・作介のおこなったもので、当地方における最古の検地と考えられているものである。


ところで元和6年勝成自身が棹をとったといわれる検地の石高は、336石2斗6升となっている。
つまりその差129石ばかりは、慶長検地から勝成検地までの、およそ20年ばかりの間に新田造成があって、ふえたのではないかということになる。

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2000年11月10日