笠岡市の西端、広島県境に近い瀬戸内海に面した茂平地区の、西南に延びた台地上にある茂平八幡神社で、昭和39年9月に社殿前の境内を整地中に二基の箱式石棺が発見された。
箱式石棺が発見された地は、古くは内海の入り江に少し突出した海に面した地であったと考えられる地である。
またこの地点は茂平神社境内として聖地されるに当たり、地表部はかなり削平されたと考えられはするが、現状からみて、かって石棺を覆う大き封土があった痕跡はないので、たとえあったとしてもこの石棺の封土は小さなものであったと見られる。
二基の石棺は、ともに南東〜北西に長軸を置くように平行に並び、その間隔は50センチばかりである。
二号棺と呼ぶことにした北側の石棺が一号棺と呼ぶことにした南側のそれより30センチばかり北西へずれて位置しており、両者は完全に並行しているとはいえない。
両者とも、長側には格4枚、短側には格1枚の花崗岩の平石を立てている。
蓋石は二号棺では三枚の平石が残っていたが一号棺では何も残っていなかった。
しかし状況からみて、それぞれ四枚の平石で蓋がされていたものと見てよかろう。
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