金浦中の候補地は3つあり

城見は大宣の大池のしたの農地あたり。
為乗の近く。国道にも近く。


陶山は陶山よりに(有田)

との意見が合ったが結局決め手になったのは、「地主が売る・売らない」が決定した。

他のところは土地を出さん。

学校の直ぐしたの所が第一候補じゃったが、すぐ隣の「土地を出す」ゆう人がおって今の所に決まった。
それで道まで(農道まで)伸びた。
現在の校舎になったところを、地主の人が「売る」ということで決まったのだ。

第一候補より位置はズレている。


焼ける、焼けんでなく下へ降ろそうゆうてようた。

(関連・昭和24年の金浦中学校)

2000・2・6


作者記・その当時、茂平工業団地(、及びNK)城見台もでき旧態の名「金浦」を変えて、せめて”笠岡南中”とかの名称変更は出来ないものかと思っていた。2001年5月24日