城見は大宣の大池のしたの農地あたり。
為乗の近く。国道にも近く。
陶山は陶山よりに(有田)
との意見が合ったが結局決め手になったのは、「地主が売る・売らない」が決定した。
他のところは土地を出さん。
学校の直ぐしたの所が第一候補じゃったが、すぐ隣の「土地を出す」ゆう人がおって今の所に決まった。
それで道まで(農道まで)伸びた。
現在の校舎になったところを、地主の人が「売る」ということで決まったのだ。
第一候補より位置はズレている。
焼ける、焼けんでなく下へ降ろそうゆうてようた。
2000・2・6
作者記・その当時、茂平工業団地(、及びNK)城見台もでき旧態の名「金浦」を変えて、せめて”笠岡南中”とかの名称変更は出来ないものかと思っていた。2001年5月24日