「元は船主なんです」


浜通りの名家・資産家といえば「船主」。

僕が住んでいた当時(昭和54・56年)、船主は漁船を減らし大金を手にいれていた。
政府の北方漁業交渉(毎年ソ連と漁獲量の交渉)による「漁業補償」、これはイコール「船主」補償であって漁船の船員にはなにも関係ない話であった。
一方、船主にとっても水揚げする魚の量は、大漁かどうかはまったくの水もので。船を減らし金を手にするのは願ったりかなったりの話であった。


磐城地方の人はよく「元は船主なんです。」この言葉を言う。(今は貧乏しているが、元は名家なのですよ、と。)

僕の家の周りには似た年齢・家族構成の数家族がいた。子供も妻どおしも仲良くしていた。
そこへ「元船主」の家族が引っ越してきた。

以下は当時妻から聞いた話である。

Kさんが「元、船主だったんですよ」と言ったら、Hさんが「私のおじいさんは(いわき市に合併するまで)中乃作の町長をしていました。」
そこまで聞いた鹿児島出身のOさんは、「私の家は元武士です。」

妻は唖然としたのであろう、その日の夜話してくれた。


2002年4月3日