中山文具店の話


三井造船の表門から玉の商店街へはいっていくと、すぐ左側奥に中山文具店があった。
文具店の社長は僕より5歳くらい年上の感じの人だった。


社長は三井造船の中へ毎日のように納品に入っていた。
京都の大学を出て就職をしていたが、何かのきっかけで地元玉野に帰り文具店を開業したといっていた。


その頃、オイルショック狂乱物価がどうにか落ち着いてきていた。それは「従来の価格に戻る」のではなくて、「高値で上げ止まり」の状態で落ち着いていた。


「親父が交通事故で死んだ。保険金が800万円はいった。そのお金は全部文房具購入費にあてた。
仕入れた文具は、なにからなにまで毎日のように値が上がっていった。
親父に感謝した。」

そういう話だった。


それで中山文具は、文具店としての経営が起動にのっていった。この話は当時の狂乱物価がいかにすごかった、の一例である。


下請け工事費の見積書には「この見積もりの有効期限は何月何日までです。」だいたい30〜45日の期間限定だった。その間に物価が上がるから。
それは購入費の見積書も同じだった。

本屋の本の裏には小さなラベルを貼ってあった。それは値段の上に値上げの値をラベルで貼っていた。


2002年6月2日