25歳の僕は毎日のように天文館などにでかけた。いつも鹿児島県人の職場の仲間がいた。
薩摩隼人の末裔たちはわっぜいよかで、毎日の仕事そしてその後も毎日遠慮なく皆しゃべり合い鹿児島の日々を満足しながら過ごした。
鹿児島市宇宿の五洋建設鹿児島港工事事務所は薩南工業高校出身の川床所長が31歳(位で)みな若かった。
鴨池から見る桜島、宇宿から見る桜島、城山から見る桜島、どの桜島もきれいであった。
3人が同じ部屋であったので交代で毎日箒で部屋を掃いていた。布団のうえに灰があるのはいやだから。
川床さんは37〜38歳の頃亡くなられた。その事は小名浜にいる時、聞かされた。
99・11・28