国鉄のスト・はじめての飛行機・兄の結婚式

昭和48年の四月末、兄の結婚式が笠岡であった。
当時ゴールデンウィークめざし国鉄はストライキをしていた。

僕は姉の結婚式にもでてない、のでせめて兄のは。と、思っていたが今度は国鉄が動かない。

それにしても、当時の国鉄はひどかった。毎年スト、列車が動かない。

五洋建設の南九州支店のひとが飛行機の切符を取ってくれた。この際、もう何でもよかった、笠岡に帰れれば。結婚式にでれれば。

鴨池から霧島に移った鹿児島空港まではリムジンバスで行き、生まれて初めて飛行機に乗った。霧島を旋回したプロペラ飛行機は宮崎上空で水平飛行になった。そこで一服。
すぐ福岡空港に着いた。福岡から乗り換えて広島空港へ。初めての飛行機は同時に二回経験したのだ。

広島空港(当時は市内、三菱重工などがある海辺)には高校・大学の同級生、東君が迎えに来てくれていた。東君の車で笠岡まで帰ってこれた。
こうして、みんなのおかげでどうにか帰ることができた。

国鉄のため、ホント笠岡に帰ってくるのが大変だった。一時はあきらめかけた。
兄と一番仲の良かった従兄弟はストのため東京から来られず、無念の電報での祝福に終わった。



この会場は「笠岡労働福祉会館」、今ひっそりと西の浜に残っている。
当時笠岡から一番近い結婚式場といえば倉敷市中島にある「なんとか?」であった。追記・2002年6月2日


2001年2月26日