ポンプ船の男

ポンプ船とはポンプ式浚渫船のこと。昭和47年当時日本はいたる所、海岸線が埋め立てられ沖へ沖へ伸びていた。
五洋建設は世界最大の浚渫会社であった。ポンプ船は会社の利益を産みだす船で、1船、30人くらいの職員で昼夜2交代で構成されていた。




ポンプ船の男は誰もが(ポンプ船には男しかいなかった)自分達が会社の利益を生み出していると思っていた。

日本鋼管福山製鉄所用地埋立造成工事以来そういう工事が日本の海岸線で続いていた。兜町の株相場でも7年連続増資を続け花形株でもあったが、それはポンプ船があってこそ。
そういう雰囲気は自然と感じていた。


その花形であるポンプ船が鹿屋に来た。

ポンプ船には、江田島での新入社員教育で同じだったH君もいる。

楽しみにしていた再会をし、毎晩のように宿舎にしていた「三方閣」という峠のホテルに行った。

「男だけの世界」のポンプ船にはいろんな人がいた。

H君は早くも船での存在感を示し、そのおかげでいろんな人との会話/雑談が楽しめた。


その頃、鹿屋の田舎いなかした面につきあいきれないいらだたしさを僕は感じていた。まだ23歳でもあったし。


K君は新興の大学の第一回卒業生で、学生時代小倉の町をドスを持って歩いたこともある男だった。


まだ大学卒業していくらか、そして職場は男だけの23歳の身。しかも”ドル箱・ポンプ船”の男。
勢いは彼に限らず持っていた。

しかもポンプ船はわずか一ヶ月で各地を回るケースも多かった。そのぶん話はまた面白くなっていく。
その中の会話は今でも僕の人生に触れるものが残っている。





2002年6月13日

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