古江線という国鉄の路線がはしっていた。
僕のいた人口1000人もいない町の名前が路線名になっていた。
この駅は始発駅で、垂水・鹿児島方面とは繋がっていなかった。線路は古江から鹿屋をとおり志布志、それから宮崎方面に続いていた。
僕が利用するのは日曜日、鹿屋にいくときにたまに乗るだけだった。鹿屋までは金港湾をおおまわりするので時間がかかっていた。しかも鹿屋駅は中心の市役所から近くなかった。
古江駅は会社の現場事務所兼宿舎から歩いて5分くらいのところにあった。
古江に三角屋という旅館があった。その旅館は三叉路にあり、そういう名前をつけていた。三叉路は鹿屋方面から、根占方面から合流して垂水へ行く。小さいながらも交わる町であった。
古江発の汽車は利用者はほとんどいなく、駅はいつもさびれていた。
古江の町には1軒だけ赤提灯の飲み屋があった。
その飲み屋は色気もなにもないが安酒を飲ませる貴重な店であった。
古江には、本屋もなく、飲み屋もなく、なにもない・・・耐えられないようなところであった。
2002年6月2日