芋焼酎がいっばんうまか

鹿屋の寝床は割れた窓ガラスから、降ってきた雨が足にかかり、

とても住めたものでなかった。

一年先輩のA先輩は沖縄(沖縄県ではない、そのチョット前のこと)の出身で、(花嫁さんは宮崎の細島での社内恋愛)結婚式があり、鹿屋に行ったばかりの僕も出席せよ…とのことで出席した。

A先輩は「もう一ヶ月も待てば、パスポート…沖縄から来られる両親の…も

いらないのになぁ」といいながら待ちきれずに少ない出席者であったが結婚式をした。

披露宴の酒はもちろん、黒ジョカでの芋焼酎。これがうまか。それがはじまりであった。

宿舎はぼろで、足のとなりをねずみが走るほど。晩飯にはいつも錦港湾でとれたキビナゴの刺し身がすこしあった。それを肴に毎晩毎晩芋焼酎を湯割で飲んだ。

小さな港のヤードの中なので民家も何も無い。夏の夜は泳ぎ…洗濯もめんどうなので、なにもつけず気持ちよく泳げる。秋は夜長をのみつづけ、とにかく飲む。芋焼酎がいっばんウマか !!

玉野市に帰ってきてこの恋しい芋焼酎を探しもとめた。…そしてやっやっと偶然岡山一番街のショーウインドーで「薩摩白波」を見た。木箱にはいった白波の一升瓶を一ダースよろこびいさんで玉野まで。よころが、うまくない。焼酎は鹿児島で飲んでこそ焼酎と感じたが、アレ全部けっこう飲んだのだったかな 忘れた。

 99・11・28

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