昭和39年・笠岡の水不足



僕が高校1年の時の夏、笠岡市は大水不足になった。
新聞テレビは毎日岡山県下の市町村から「友好の水」をタンクローリーで受けるシーンを流していた。

これは正確にいうと、笠岡市笠岡の水不足であった。
茂平はまったく関係なかった。茂平の家庭にも蛇口のついた上水道があった。
水源は旗涯地の井戸、その水では不足するので各家にある井戸にモーターを取り付けて水道につかっていた。二本立ての水道だった。

笠岡の水は尾坂池だったんだろうか?

その頃の笠岡の街の道は汲み取りの肥えタゴが荷車に積んで通っていた。笠岡の道をそういう車がいたことに当時でさえびっくりしていた。


笠岡は近隣から人を集め小さいながら商店街の人通りは多かった。

一皮むけばこえたごが通る町でもあった。


2002年3月18日


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