県境(39年2月岡山県議会の三木知事の答弁) 伊藤大孝暑「人生不屈」より。


昭和38年、越県合併問題で紙面に登場した「茂平」は今度、広島県との県境が不明でそれが紙面にしばしば登場した。



生活上は全く関係ない話であったが、県境の海上は広島県側鋼管の造成・岡山県側の干拓堤防設定に80メートルの差が生じた。
そのため茂平から寺間に伸びる一直線の茂平側の起点が問題となった。


伊藤県議「ここを掘って港ができると、船のトン税はどのようになるのか?
境界線が80mどっちかへ寄るかというだけで、1億円も違うといわれる。」


三木岡山県知事「干拓は41年から着工しますが、その内部の工業用地は単県で干拓着工と同時に着工します。

県境については、今の一番岡山県側に近いところと、広島県側に近いところの双方の主張のどう割引しても7割がたぐらいまでは岡山県に属するであろうと思います。」


昭和39年2月・定例岡山県議会。


この問題は広島県から訴訟される・・直前(三木知事の次の)加藤知事が、広島の永野知事・檜山議長と交渉して解決した。

                 

2002年8月16日