昭和38年7月20日の県議会・笠岡選出のI県議の質問 (伊藤大孝暑・人生不屈より)
この年の1月、岡山・倉敷他合併による100万都市は流産した。これをすすめていた三木岡山県知事には100万都市の対象外の地域からの苦情が絶えなかった。
「東の方では100万都市(新産業都市)、西の方では備後工業整備特別地域。
笠岡・井原はなぜどちらにも入らないのか。笠岡にとって大問題である。
東の端は兵庫県へ逃げてしまう。西の端も険悪な空気がみなぎっている。
聞くところによると、広島県側に近い茂平地区は福山へ合併アンケートをとり、近日とりまとめるという。
これは、岡山県政がへき地の者を軽視して、いいところだけに一生懸命になりすぎ・・・・」
(昭和38年7月20日・定例岡山県議会の一般質問)
笠岡・井原が備後工業特別地域に追加編入されたのは昭和40年3月である。
2002年8月16日