茂平の越県合併事件その2


この事件は、山陽の臨海部が日本を代表する瀬戸内海工業地帯として飛躍しようかという時期に起こった。大企業進出の決定と同時に周辺町村は競うように吸収合併をしていった。
もし、県境の壁がなければ茂平は議論の余地無く当然のこととして福山市になっていただろう。井原市笠岡市も福山市になっていた可能性が大きい。
2002年6月7日


「すまんけど、止めてくれぃ」ゆうて武徳さんが来た

「わしが県知事になったんで、すまんけど止めてくれい。」言ぅて言いにきた。

「しょうがねえ、そうすらぁ。」
で止めてしもうた。


新聞にも記事になり(事が)大きゅうなったんで、武徳さんが来たんじゃ。


それは笠岡市議会でも取上げられたのか?


そのくらいせんとやる価値があるもんか。

”神島のひろむさん”(当時広島県議)のところに行き相談した。

ひろむさんが、ああせい、こうせい、いわれてほれで段取りしたんじゃ。


福山の市役所へ行ったとしても誰も相手をしてくれん。じゃが”ひろむさん”がおると(福山)市も対応をしてくれる。
ひろむさんが”ヨシ!”言うてやってくれた。

ほれでこっち(笠岡市または岡山県)もあわてたんじゃ。


加藤さんが県知事じゃけいほれで、飛んできた。


笠岡におってもなんもしてくれん、福山にいけばええじゃあねいか言うてようた。

茂平全体の気持ちがそうじゃった。


広島へ行ったほうがなんぼうでもええ。

下のいわさん、ひさっさんら、ようなんでも動く人間がこねツテで動いた。
親類が福山に多い、茂平の人は。それで動きが大きくなった。







                 

2002年6月2日