茂平が福山市と合併に


昭和38年岡山県の最東海岸にある日生町福浦が強い住民運動により兵庫県に合併された。


茂平もということで、親類のひろむさん(当時・広島県議、後・福山市長)のところに相談しにいったら、それならと、ひろむさんは(子分の)2〜3の福山市議を紹介してくた。

市議を窓口にということで条例のことや、実際はということで日生の福浦までも行ってきた。


むつじさんを会長に自分が副会長であったがほぼ全部自分がまとめていた。


そして山陽新聞などで、この事が大きくとりあげられるようになった。

合併請願書が提出され・・・福山市に提出・・・るとビックリしたのが、(県知事に)なったばかりの武徳さんで。

「すまんけど、止めてくれ」と、武徳さんから言われ。

「知事の膝元でそれは・・・」と、いう雰囲気のうち、自然と消滅していった。

2000・4・30

2000年05月06日

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