長男の高松農高への通学・2   (母の話)


(金浦中学から)「高松へ行かしたい。」と、大島から来ていた(担任の)浅野先生に言うと。

「まだ千鳥のほうがエエ、高松を受けるのは賭けみたいなもんじゃ。」ゆうて言われた。
まだそのころは千鳥はみ易しかった。


(高松農高でも)「土木」が一番いたしかった。


それじゃけい忘れもせんが。

高校受験の日、その後で伯父さんが試験問題をさせたんじゃ。


高校受験日の日、その後で同じ問題を見せ。試験にどのような回答をしたか確認した、それを見た伯父は「割によく出来とる。これなら大丈夫じゃろう。」と言ったらしい。



あのこ(長男)は割と落ち着くこで、試験はようできた。


(高松農の)土木へいくと、県にはいるときエエいわれ。それじゃけいあそこを受けた。

あのころは今と違い、県の土木じゃ高松を出たこが巾を効かしょうた。
偉ぅなっとる人がえっとおる。

2002年8月24日


作者記・姉と自分は地元の笠岡高校へ進学した。兄の場合、長男「あととり」ということもあり両親も本人も地元周辺の公務員になる・なりたいという要素があった。
尚、当時の県・市町村への就職は、長男のうち一部の人のみが希望するところであった。

2002年8月31日


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