干いちじくの今昔  三、干果いちじくの復活


 茂平の大田雅子氏が食品加工に興味を持ち考案されたのが、在来種のいちじくを水洗いし、釜で砂糖水(50%)で煮沸、天日乾燥、手入れをして岡山県農村加工コンクールに出品し、評判が良かったので、昭和60年、茂平加工研究グループが笠岡市の協力農協の支援を戴き、干果の製法の共同実施で製造を行うと共に各家庭でも行う。

 昭和61年度は笠岡市農協が主体となり、生果2トンを干いちじくに製造製品化し、笠岡特産品として各地に出品して好評を得、笠岡特産品干いちじくの復活を見た。


 昭和62年には農協は加工場を新築して生果7トンの加工を行い、製品25ケ詰3500箱、外小袋詰にし、笠岡特産おしぐらんんこ銘菓として、干いちじくを笠岡市内はもとより福山、岡山、天満屋へと販路を広げ各地に出品する。

 昭和63年度は生果10トン以上の加工予定であり、今後の発展を期待している。

資料『高梁川』 昭和63年12月20日発行 笠岡特産干いちじくの今