青木の土地を買う (母の話)

茂平にゃ田圃がすくなかった。田圃がないんでよけい麦を食ようた。

青木の田を買うた時は、くつれいだようじゃった。
あれを買うたら、けっこうウチにも米が売るほどありょうた・・・。

嬉しかった(米が取れることと、田圃を所有が増えたことと、茂平の田圃では立地がよかった)けぃ。

砂地じゃし、池の下じゃけぃ樋守ができる。みんないったんじゃ。(ほしかった)
大池の下じゃけい、あの田圃はどんなに日焼けをしても、米が取れん事がねぃ。ゆうて。そおゆうてようた。

よお買えたんじゃ。
「こっていだこ」にあの時分、(旧制)高等学校に行かせとった。偉い人になっとって、茂平の人はあの人に頼めば就職はなんとでもなる、ゆうてようたんじゃが。
子供ができなんだ、それでええとこ・・市長やらなんやらからもろうたゆうてようた・・・奥さんをいなして。金を使うてしもうた。
ずんぼのお母さんだけ残ったが「茂平の土地はみな売ってくれい」ゆうて息子がゆうもんじゃけい。

その時買うたんじゃ。

その時分ウチのおじいさん(父)がその世話(売る世話)をしょうたんじゃ。それで買えたんじゃ。


作者記・その田圃は昭和45年ごろ米つくりを止めるまで田圃。以後イチゴハウスでの苺栽培の畑となった。


いちごを植えたが、これもようできようた。道が(県道に)かかったので止めた。ハウスはよそへ移した。


作者記・苺ハウスの跡には李を植えた。平成になってコンビニ店となった。コンビニは撤退し今『テナント募集中』の状態。2001年9月6日


2001年1月1日