美人だった吉井先生はお産で死亡した (母の話)
作者が城見小学校二年生の時、僕は安藤先生でもう一クラスは吉井先生が担任していた。吉井先生はお産で亡くなり、変わって教頭の森山先生が担任の代役をした。
城見小で代用教員をしとった有田から来ていたまつうら先生の奥さんが、陶山では産婆をしょうた。
今じゃぁ考えられんが吉井先生いう美人の先生がお産で死んだ。気の毒じゃたが、産婆さんの夫の先生も(職場が同じで)つらかったろう。
お産の時血が止らんようになって死んだ。
けっこうな先生じゃたがなぁ。
その時の子は今笠岡の返照寺で住職をしながら高校の先生をしょうる。
お母さんににてキレイナ顔をしとる。
茂平のダサーの(ツーさんの妹の)きぬちゃんも、こりゃ病院で産みょうたがお産のとき死んだ。
この時も子は助かり、その子は県短をでてエエとこへ嫁にいったゆうことじゃった。
2001年1月5日