せめてパッチン「紅孔雀」

(東)千代の介さんも死んじゃった。錦ちゃんも。
千原しのぶはどしたんじゃろう。

「紅孔雀」は大人気でラジオから映画・漫画と、子供の話題にならない日はなかった。

那智の小四郎・浮寝丸、さらには風小僧。

話すだけで見ることも聞くことも無い茂平の子供たちであった。


唯一お目にかかれるのがパッチンの図柄であった。

大友柳太郎のパッチンなんか、それだけで強いパッチンになっていた。気合をいれて叩いていた。


パッチンは四角(長方形)と丸。サイズは大・中・小とあった。

四角の方が強かった。


パッチンは子供の宝で、負けてもいいパッチンと、これは(気に入り・決め手)というのがあった。

決め手のパッチンには油を塗り・ローソクの蝋を塗りたくって勝負していた。
同級生とならだいたいあいこ。
上級生には取られる枚数が多かった。

2002年1月27日

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