”肉”と言えば、馬肉?鯨?鶏か?


田舎(笠岡市茂平)と町(福山市入船町)の生活の違い、というか格差はこれだけあった。その一例。

昭和42年春。笠岡市茂平のひろちゃんは、福山市入船町の人と結婚した。


福山の子供は

結婚した頃、夫は「肉言うたら、牛の肉しか食べた事が無い。」ようた。町の人間じゃよね。
「子どもの頃、肉を買いに行く(手伝いで)ゆーたら、牛肉を買いに行く。」


茂平のひろチャンは

子どもの頃、馬の肉を売りにきょうた。

赤い肉で、自転車の後ろに茶色の籠に入れて。上の道で売っとった。
(両親が)うまい、うまい。ゆうて食べょうたから(自分も)美味い思ぅて食べょうた。


家の庭には鶏を吊って、ぶらさげていた。
卵を産まなくなった鶏の肉を食べょうた。



茂平のえいちゃんは

肉といえば鯨

とにかくよく食べた。あの、しわい肉を。

魚屋のしょうやんが売っていた。自宅で食べるだけでは無い。
当時の学校給食でもめったやたら鯨肉はよくつかわれていた。

 

次が鶏

僕が中学生になった頃、日曜日の昼の鶏の餌は自分の仕事だった。
弱った鶏を殺すのは僕がしていた。毛と皮を剥いで、肉を母に渡していた。


初めての牛肉のスキヤキにはビックリした

福山の三吉町に叔父の家があり、中学生の時そこで従兄弟たちと牛肉のスキヤキを初めて食べた。
牛肉の味は全く覚えていないが、肉を食べるのに「生卵一個」使って。その事にビックリ仰天した。
自分にとって生卵一個食べるのは病気になった時、そういう時はじめて食べられるものと思っていたから。
町の食生活と、その贅沢さ。本当にカルチャーショックみたいであった。

昭和42年、茂平を出るまで。自宅で牛肉のスキヤキ、しゃぶしゃぶ。そういうものは食べたことは無かった、
スキヤキといえば鶏の肉であった。



2002年1月3日

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