釘を拾う


茂平の火のみやぐらと豆腐屋の間には、農協へ出荷した果物箱の空箱を無造作に積み上げていた。
箱には各家のマークをスミで塗っていた。自分自分でその都度回収していた。


箱はボロになり捨てるのがあるので、農家はいつも新しい箱をつくっていた。

冬になるとボロの箱は豆腐屋のおばあさんが、毎朝焼いていた。学校へ出発するまえの子供が手をあてて温もっていた。


土曜日の午後はその焚き火の跡へ行く。
灰と釘があるから。
釘を拾い集めると、クズカイのおじさんが大きな自転車に天秤棒をもって買いにくる。おじさんに売るのだ。


おじさんに売るのは一人ぶんでは足りない。近所の子何人かを集めて売る、それでも物が買えるほどのお金にはなっていなかったような。


この事を書いたのは現在環境・ゴミ問題があるから。笠岡市でも4月1日より市の指定袋になり、スパーなどのレジ袋は使えなくなる。

昭和30年代には茂平のような田舎にゴミ問題はなかった、というよりゴミが無かった。
江戸時代またはそれ以前と同じで、ほぼ完全に自然サイクルの社会だった。

ポイ捨てを含めゴミ・環境問題を思う時、”売りっぱなし”をすすめてきた日本経済社会を改めるのが必要ではないかと思う。
(”買いっぱなし”の責任ではない。消費者がその方が得になる、売り方、回収を示さなかった供給側の責任である)

よごれた道・海・川をみるたびになさけなくなってくる。


2002年3月17日

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