飢えてはいたが、うまくない「脱脂粉乳」


脱脂粉乳はくさくてね。おいしゅうなかった。

アルミの弁当箱を持っていっていたが、毎日でなくたまに脱脂粉乳がでていた。

2002・1.・5

城見保育園に入って昼には脱脂粉乳がでていた。毎日であったか、二日に一度であった。

元の粉乳は、ドラム缶サイズで学校の前にある役場に降ろされていた。沸すのは役場であったように思う。
そこからアルミか真ちゅうの缶にいれて保育園に運んでいた。

全員が一列になって真ちゅうのコップを手に持って前に進むと、先生が一人ひとりに注いでくれていた。

小学生になると、それは生徒の当番制になったが同じ光景であった。

味のほうは、そんなに美味くなかった。
あれほど誰もが空っ腹であったのに、それでも、美味いとは感じなかった。

店には牛乳ビンの牛乳はあったが、それを買って飲む。そういう贅沢な事は想像もできない、田舎でそれに変わるものは山羊の乳である。そういう時代のこと。


2002年3月16日

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