頼さんの軍手


頼さんは僕より6つ年上で近所の子。
頼さんのうちとは田植えも共同でしていた。

頼さんには同級生がいて「ひでやすさん」と遊ぶこともあったが、ちょっと家が遠かった。

頼さんはよく遊びにきていた。
また頼さんの家に遊びに行った。

よりさんとはメジロを取りに山に行くことが多かった。
たいていがうつろの山から高丸にかけてあるいた。
たまに方向を変えて「はたびら」の山に行くこともあった。

頼さんと山で、もって行ったメジロの”とも”(籠にいれたメジロで、その声につられてメジロを呼ぶ)を木の枝に掛け、あとはひたすらメジロが寄って来るのを待つ。
声をだしたらいけないのでモッチの枝がみえるところにひそみ、ただだまって待つだけ。

寒いので頼さんは軍手を脱ぎ僕に片方を貸してくれた。(片方の軍手は取ったメジロ入れになる。)
ちいさな両手を軍手の中にいれた僕がいくらか元気になってくるのが、メジロが近く寄ってくるとき。

籠に近寄ってきたメジロはたいていモッチの枝にかかった。
ソレッと飛び出しメジロの足をモッチからはずす時だけが楽しみだった。

そしてまた場所を少し移動する。どうしても来ない時は海に向かって石をなげメジロを移動・飛び立たせていた。
普段は4匹くらい軍手の中に入れて(捕まえて)終わっていた。そしてモッチを枝に口をつけていねいに取り小ビンの中に水といっしょに納めた。
捕ったメジロは半分がメスで逃がし、残りがウグイスとメジロのオスで、メジロのオスだけを持って帰っていた。

朝早くでて帰りは堤防の土手をとおり(どういう理由か往く道は堤防をとおらなかった。)昼前には家に帰っていた。
寒かったことだけが記憶に強い。


三男坊だった頼さんは高校卒業して茂平を離れた。それから数回茂平で会った。お腹がでて貫禄がつていた。今、取手市に自宅があるそうだ。


2002年4月20

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