ヒロポンの中止

(岡山県史)


覚醒剤はナチスドイツがロンドン空襲の際、パイロットの睡魔を取り除いた状態を維持した目的で使用したことから広まったと言われる。

ヒロポンは白色数ミリグラムの注射で、眠気疲労感がなくなり一時的に心身爽快になるので常用しやすくm、すぐには生命の危険がないため連用して中毒患者になりやすい。

日本では戦後流行しはじめ、非行少年の間に蔓延し、一部芸能人や文筆家など徹夜で仕事をする人にも中毒患者がでて大問題となった。


1951年(昭和26)の覚醒剤取締法により禁止になったが、その密造・販売がひそかに続けられ検挙者は、
1952年 252件
1953年 493件
1954年 903件に達したが、その後激減した。



2000年11月7日