敗戦当時の部隊・施設配備・岡山県史


当時県下に駐屯していた部隊ならびに設置していた軍事施設については、その全貌を明らかにすることはもはや極めて困難となっている。

現代までに判明している敗戦当時、県下にあった部隊の部隊名と所在名を、主として『岡山県郷土部隊史』によって駐屯地別にあげてみよう。

現・岡山市域

A・陸軍関係
(1)中国軍管区歩兵五補充隊(中部第48部隊)
終戦時将校189人、下士官384人、兵1004人計1577人。

岡山市津島にあり。

元の歩兵第五四連隊(第17師団当時)で、後の歩兵10連隊となり、1937年(昭和12年)以降第歩兵第10連隊、歩兵第154連隊がここで戦時編制され出勤した。

それとともにこれら部隊の補充兵員の教育も行われていたが、1945年3月に広島師官歩兵第5補充隊、6月に広島軍管区歩兵第5補充隊と改称された。


(2)岡山連隊区司令部

1907年(明治40)に尾道市に設置され、1,908年御津郡伊島村(現・岡山市いずみ町)に移転して以来、徴兵業務を取り扱ってきた。敗戦後も1945年12月1日まで存続、その後は岡山地方世話部(国の機関)に業務を引き継ぎだ。

(3)岡山陸軍病院

1907年(明治40)御津郡伊島村(現岡山市伊島町・県立短大の位置)に設けられ、敗戦後も存続。
1945年12月1日に国立岡山病院に改組された。

敗戦時、将校40、下士官36、兵92、計168人。

勤務していた看護婦数不明。
なお旧練兵場にあった増設病棟は6月29日の岡山空襲で全焼した。



(4)独立歩兵第744大体中部48部隊

編成中に敗戦をむかえた。定員897人に対して現員は183人にすぎなかった。

(5)第7練成飛行隊教育隊

岡山市福田にあった。

(6)第230飛行場大体

岡山市津島新野

(7)第250飛行場大体

岡山市福田地先

(8)岡山停車場司令部
長以下6人
岡山駅に置かれていた

(9)第18独立鉄道作業隊
岡山市大供の県立網亜学校盲ア学校に駐屯。

(10)第230師団工兵隊

御津郡平野国民学校に駐屯

(11)岡山憲兵地区班
岡山市弓之町

(12)広島陸軍兵器補給廠

岡山市津島の現岡山大学用地の大部分を使用していた。


1939年(昭和14)から1945年4月末まで岡山陸軍兵器補給廠が置かれていた。
主力が香川県琴平に移動したので広島陸軍兵器補給廠岡山分廠に改組された。

終戦時の人員は職員72人、工員820人、兵135人であった。

(岡山市以外省略)






          

2001年9月15日