軍隊の円滑な解体・岡山県史



岡山県下には四国・九州あるいは関東のようにアメリカ軍上陸に備えての本土決戦部隊の濃密な配備はなかった。

むしろ兵員の補充・教育と、兵站業務に従事する部隊主で、それにつれ若干の防空部隊があり、わずかに蒜山地区にいた歩兵連隊と追撃砲隊とが実戦部隊に近いものであった。

それに火器も兵器も補充されてはいなかった。


未曾有の事態であったにもかかわらず、日本軍の解体は大部分の部隊で比較的平穏に行われた。
岡山県下では、戦争継続・焦土決戦叫ぶ狂信的行動は全くといってよいほど見られず、復員業務は比較的簡単で、各部隊の兵員も比較的早く故郷に帰ることができた。



2001年9月15日