親の就学は?(母方)


母の父母は”とりことりよめ”
父の父母と同じで明治20年代後半生まれ。

(2001年12月1日、茂平堂面の畑で母に聞く。)


おばあさんは、あれでも若い時はキレイじゃったんじゃ。
(後月郡の・現在は井原市の)青野の小学校でて、今度は芳井の技芸へ通った。
学校へは8年は行っとる。

技芸では上手で、人に教えるくれいじゃった。
そこで先生に見初められ”嫁にくれい”言われたんじゃが(本人も嫌いではなかったのであろう)、
親が「岡山は遠すぎる」言ぅて、どうしても岡山にはやらなんだ。

今度は金浦から話があった。
「金浦は田が無いので麦飯ばぁ食わにゃいけん。」言ぅて今度はおばぁさんが断った。

それで田圃がある賀山へいった。

ココへ来たら(田圃はあるが)仕事ばぁじゃ。ゆうてようようた。


昭和49年、祖母は亡くなった。
葬儀の時、喪主の伯父は挨拶で「母は働いて、働いて、働きぬいて亡くなりました。」
そのとおりの人生であった。


おじいさん?覚えとらんでぇ。


祖父は、祖母の数年後亡くなった。




                   

2001年12月2日