天津暴動も陰謀だった


昭和6年年11月8日 突如として発生した天津暴動は 後に満州国皇帝となる溥儀を 天津から脱出させるための陰謀だった

10月29日天津にやってきた奉天特務機関長の土居原賢二が 約1000人の中国人を買収 8日午後9時から約1時間 日本租界のはずれに近い福島街から 中国街一帯を襲撃させた


その夜 警戒厳重な日本租界から 溥儀はひそかに脱出することに成功した 天津から大沾(タンクー)にいき 待機していた日本船「淡路丸」に乗り 13日早朝 遼寧省の営口に着いた

毎日新聞社「一億人の昭和史」


2001年10月21日