女学校は5年で西江原尋常小学校をでてからいった。 当時の(西江原小の)女の子の進路は小学校をでてそのまま高等小学校、その上の青年学校に行く人。 精研ができたばかりで・・同級生が一期生・・そこに行く人。 技芸に行く人 女学校に行く人 女学校に行くのは2割くらいじゃったろうか、授業料が高いんで、たいぎなというウチが多く受ければ皆んな入っていた。 町長や医者の子弟は面子をいい一女(現・岡山操山高)に行かせる親もいた。一女は(受験が)難しいので頭もいった。 一女にいくひとは通学していた。・・・井笠鉄道で笠岡、笠岡から国鉄で岡山まで。 技芸は裁縫をおしえていた、当時どこの町にもあった。 技芸は今は全く消えてしまっている。 |
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(井原女学校・昭和10年) |
2001年1月2日