疎開児童の話



城見小学校には疎開児童はこなかった。


陶山小学校の疎開児童(作者の義兄=姉の夫は、福山市入船から陶山国民学校に疎開していた。その話)
                                                  平成8年「笠岡市史V」には陶山に疎開が有った事はは記載されていない。

 疎開したのは集団疎開でなく、縁故の疎開。福山では集団疎開いうんはなかった。クラスでは自分ひとり。2年間ほど疎開しとった。


篠坂の親戚に泊まっていた。
その親戚にはもう一人親類のひとがきとった。


ビックリしたのは。

二人掛けの椅子に3人。
多分陶山小には多くのそういう(疎開の)人がきとったんじゃろう思う。

教室はぎゅうぎゅう詰めじゃった。
山を二つ越えて返る

有田から篠坂まで山を二つ越えて帰りょうた。

最初の日。行きは母に連れていってもろうた。帰りは自分ひとり。早く家まで帰ろうと走って帰っていたら、途中で道が二つに分かれるところがあり。
まいった。もし間違えたら帰れんようになる。

聞こう思うても誰もおらん、山の中じゃし。

もう、えい、右に回れ思うて行ったら家に帰れた。
汽車がとおらんし、なんと田舎に来たのう思った。

陶山にはバスが走っていた。バスは木炭バスじゃった。
習字道具を忘れたら、家まで取りに返らされた

女の先生じゃったけど習字道具を忘れたら、家までとりに返らされたことがある。
片道4キロもあるのに、とりに帰った。
きつい先生じゃった。




2002年5月3日