自転車を取りに


軍隊には帳簿上処分されたことになっている(簿外の)品物が多くあり、持ち帰れないので賀山(母の出所・井原市)や岩倉(母の妹)にも声をかけたら取りに来た。
賀山の兄貴と岩倉の兄貴が来た。自転車に乗って。

軍靴・服を出しやったらみな持って帰った、よろこんで毛布・コートなども持って帰った。軍隊の生地はよかった。自転車に積めるだけ積んで。
ぶら下げて。(その格好が面白かったのか、笑いながら)

軍の物は焼けた事になっていた。
あの時分は何んも無かったんじゃけいのう。

終戦後、車(じどうしゃ)に毛布・コートなどを積んで茂平に帰った。

茂平に帰ったら乗れる自転車が無い、軍隊ではええ自転車を専用に使っていた。

ばあさんが「もろうてけぃ」言うんで、ふうが悪かったが汽車に載って行った。

班長に事情を言うと、見つけてくれ、はんごうに昼飯を詰め込んで、そこから乗って帰った。
エエ自転車で、それからだいぶんの間使った。






1999・12・3


旧軍物資は膨大な数量に達していた。冬衣422万着、夏衣377万着、その他、軍靴、食料など。
正規なルートで放出されたのはその一部で、大部分は横流しされ、ヤミ市へ回った。」

研秀「昭和史」より