結婚式の写真の福山のさとし叔父さんは、時局柄坊主頭でないといけなかったのではないか?
茂平の村人からも坊主にせよとの声はなかったのか?
言われてはおらんけど、「まぁ、兵隊へ行かにゃぁならんし。(その時は)切らにゃぁならんし、ぼっこうきらわれんようにせい。」ゆうようなことは言ぅた。
かまわん人は長ぉしょうた。
ところのものは短ぅしょうた。家ですれば安ぅすもうが。バリカンで親爺にやってもらようた。親父のも丸坊主に摘んでやりょうた。
という事で、時局というよりはお金が安くすむ。そういう原因のほうが比重が高かったようだ。
2002年4月6日