2022年7月11日     月曜日   山形県酒田市山居町 「山居倉庫」       
酒田発   丸池    鉾立展望台   元滝    象潟   矢島 本荘 山居倉庫   酒田(泊) 
7:40    8:30頃    9:40頃    10:50頃    12:00頃     13:50   14:40     16:10頃   18:00着 
                     



山居倉庫(さんきょそうこ)の県道側は工事中だった。








新井田川に架かる橋を拡幅中。












日和山公園の帰り道に、国道側から山居倉庫に行った。

この日、ツアー行程に「山居倉庫」見物はあったが、散歩途中に行っていてよかった。


というのは、「山居倉庫」は倉庫の半分が現役で使用中。そのためツアーでは、またその夜も、区域半分が立入禁止だった。









新井田川と山居倉庫。






酒田市役所”酒田さんぽ”Web

湊町・酒田のシンボル「山居倉庫」

米どころ庄内のシンボル山居倉庫。1893(明治26)年に建てられた米保管倉庫です。
米の積出港として賑わった酒田の歴史を今に伝え、NHK朝の連続テレビ小説「おしん」のロケーション舞台にもなりました。
白壁、土蔵づくり9棟からなる倉庫の米の収容能力は10,800トン(18万俵)。
夏の高温防止のために背後にケヤキ並木を配し、内部の湿気防止には二重屋根にするなど、自然を利用した先人の知恵が生かされた低温倉庫として、
現在も現役の農業倉庫です。

敷地内には酒田市観光物産館「酒田夢の倶楽」、庄内米歴史資料館が併設され観光客で賑わっています。
樹齢150年以上のケヤキ35本の連なるケヤキ並木の色合いは、季節とともに変わり見る人を魅了します。
2021(令和3)年3月26日、国指定史跡に認定されました。








では橋をわたります。








(山形県HP)

日本一の米「山居米」の巨大倉庫 山居倉庫(酒田市)

『山居倉庫』は、米の揚げ下ろしで雨風に当たらない構造や、倉庫内の工夫を凝らした空調管理、
入庫米の厳しい選別審査などで、中央市場でも日本一と評される「山居米」を生み出した。

現在の近代的な倉庫の保管機能と比較しても、決して遜色の無い山居倉庫は、庄内米の改良と声価向上を果たし、農村経済の振興に貢献した。











山形県公式観光サイト「やまがたへの旅」

山居倉庫
さんきょそうこ

湊町・酒田のシンボル「山居倉庫」


米どころ庄内のシンボル山居倉庫。1893(明治26)年に建てられた米保管倉庫です。

米の積出港として賑わった酒田の歴史を今に伝え、NHK朝の連続テレビ小説「おしん」のロケーション舞台にもなりました。
白壁、土蔵づくり9棟からなる倉庫の米の収容能力は10,800トン(18万俵)。

夏の高温防止のために背後にケヤキ並木を配し、内部の湿気防止には二重屋根にするなど、
自然を利用した先人の知恵が生かされた低温倉庫として、現在も現役の農業倉庫です。

敷地内には酒田市観光物産館「酒田夢の倶楽」、庄内米歴史資料館が併設され観光客で賑わっています。

樹齢150年以上のケヤキ35本の連なるケヤキ並木の色合いは、季節とともに変わり見る人を魅了します。
2021(令和3)年3月26日、国指定史跡に認定されました。










(山形県HP)

倉庫

現在の倉庫内は、機械設備による空調管理が行き届いているが、
設立当時は二重屋根やケヤキ並木、天窓や換気窓の配置など、様々な工夫を施し空調管理を行っていた。

二重屋根は、土蔵と屋根の間に空間を作って風通しをよくし、積み重ねた俵の熱の放散と、屋根からの伝導熱を防ぐ役割を果たしている。

また、ケヤキ並木は、日本海からの強い西風と夏の直射日光をさえぎり、倉庫内の温度を一定に保つ目的で植えられたもので、
現在では見事な巨木となり、倉庫の屋根を覆っている。















山居倉庫のほぼ中央。















国道側は「みどりの里山居館」という施設。










12棟ある倉庫の一番国道側は「夢の館」と呼ばれる観光施設。

















他に一番県道側には「庄内米歴史資料館」として使用されている。








小鵜飼(こうがい)船



倉庫の新井田川沿いに、小鵜飼(こうがい)船が展示されていた。














これは迫力あった。








最上川には「ひらた船」が運行されていたが、

スピードを武器に小鵜飼(こうがい)船が席巻し出した。


特に明治維新後は自由化によって全盛期を迎え、

・・・また、どこの府県でもあったように・・・鉄道の運行により消滅、失業していった。












「山形県の歴史」  誉田・横山共著  山川出版社  昭和45年発行

小鵜飼(こうがい)船時代


酒田港は、江戸時代以来、山形県唯一の物資の集散地であり、表玄関であった。
庄内をはじめ、最上川流域にある内陸の物資の大部分は、この酒田港を通過したのである。

なかでも大半は米であるから、米倉庫と米会所は、酒田におけるもっとも重要な経済的機能をもっていた。
庄内藩の新井田(あらいた)蔵は、維新後官有になり、地租の金納化で減少したので豪農への払い下げを経て、のちには本間家の手にわたっている。
米商会所は、明治26年のちに山居倉庫と呼ばれる保管蔵を新築した。
山居の米は他の納入米と区別して、格差を設けて取引された。
山居倉庫は、明治26年の創立当時は7棟であったが、明治30年には15棟、
羽越線各駅に設けられた支庫をふくめると大小62棟をかぞえた。

明治5年、最上川運行の大小船は自由とし、藩船は廃止された。
明治7年の県の調査では、ひらた船101艘にたいし、小鵜飼船274艘に増加している。

奥羽線が全通したのは明治38年9月である。
鉄道がこれまでの輸送販路をかえた。
北海道中心でなくなり、青森の鮮魚。東京からの呉服・太物・紡績糸が移入した。


















山居倉庫A昼 B夜
クラブツーリズム 『出羽三山と秘境・鳥海の絶景3日間』




2022年7月22日