2022年12月19日   月曜日        山口県萩市椿東 「村田蒲鉾店」
笠岡    岡山    新山口    萩反射炉    萩城下町   北長門    元乃隅    俵山温泉      新山口    岡山(泊) 
5:46    6:29 ・7:03 ひかり  8:38    10:00頃    10:59〜11:36    12:20頃   13:38〜14:05    14:52〜15:54       18:01 こだま  20:22 
               


萩反射炉を出たバスは蒲鉾店に向かった。





郡司鋳造所遺構広場(ぐんじちゅうぞうしょいこうひろば)














「松陰神社」の前を通る。






松陰神社

吉田松陰は天保元年(1830)に萩の下級武士杉百合之助の次男として生まれた。
5才で山鹿流兵学師範吉田大助の養子となり、兵学を学ぶ。
22才になって江戸に遊学、佐久間象山に学ぶ。
彼が松下村塾で講義をしたのは約1年くらいだが、
高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文・山県有朋・前原一誠など幕末維新の英傑を輩出した。

「日本の城下町」  ぎょうせい 1981年発行
















そして蒲鉾店に着いた。

バスが着くと、お店の”説明役”の人がバスに乗り込んできた。

そして商品がどれほどいい品かとアッピールした。(特に材料が萩近海で獲れた魚を使っていると)








通常、土産物を買わないえいちゃんもクーポン券を消化するため、3.000円ぶんの買物をした。↓





これは@1.800で、同じものを二篭買った。

クーポン券3枚プラス、600円財布から支払った。







「藩校明倫館跡地」。




明倫館

享保四年(1719)五代藩主吉元が藩士子弟のために設立した学校である。
藩校としての規模が他藩のものより大きい。
幕末にいたっては、
漢学・医学・天文・歴史・地理・算術・兵学・礼式・華道・武術の諸学科をもつ総合大学にまで発展している。

「日本の城下町」  ぎょうせい 1981年発行








毛利元就の三本の矢、

”毛利三本の矢”の銅像。




【萩市観光公式サイト】


毛利元就の逸話「三矢の訓え」

「三矢の訓え」は、萩城を築いた毛利輝元の祖父・元就が、三人の息子(隆元、元春、隆景)にあてた教訓状をもとに作られた説話です。
元就が息子たちに書状を送った年(弘治3年(1557))は、
大内氏を倒した陶晴賢・大内義長の軍勢を打ち滅ぼし、防長両国を支配下に置いた年であり、
大内氏に代わって中国地方から北九州にかけて大きな勢力を持つ戦国大名にのし上がるきっかけを作った年でした。
大きくなればなるほど一族間での争いが生じることは戦国の世の常である。
毛利家の将来のため、一家の頭領として三人の子どもに一致団結を切々と説き
「1本の矢なら簡単に折れるが、3本まとめて束にすれば折れない。それと同じように、3人が力を合わせれば、誰にも負けることはない」
と諭したと伝承されています。

萩市民館前に建つこの銅像は、萩出身の彫刻家・長嶺武四郎が製作したものです。
また、城下町建設の測量起点にした基準石である「萩城下街割原標石」が市民館の西側に残っています。







バスは萩中央公園駐車場に停まった。



「萩城下町」@萩中央公園〜御成道ABC
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2022年12月22日