2022年12月19日 月曜日 山口県萩市大字江向 萩中央公園〜御成道 国指定史跡 ”萩城城下町” | |||||||||||||||||||
笠岡 | ![]() |
岡山 | ![]() |
新山口 | ![]() |
萩反射炉 | ![]() |
萩城下町 | ![]() |
北長門 | ![]() |
元乃隅 | ![]() |
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新山口 | ![]() |
岡山(泊) | |
5:46 | 6:29 ・7:03 | ひかり | 8:38 | 10:00頃 | 10:59〜11:36 | 12:20頃 | 13:38〜14:05 | 14:52〜15:54 | 18:01 | こだま | 20:22 | ||||||||
「萩城下町散策」はツアーの行程表では40分しかない。
しかも駐車場所も不明。
それで萩市を代表する中央公園駐車場に停まることを前提にして、計画を立てた。
期待通り、バスは中央公園に停まった。
青春のお決まりポーズするのは久坂玄瑞で、
”久坂玄瑞進撃像”。
【萩市観光協会公式サイト】
久坂玄瑞進撃像
尊皇攘夷の先頭に立つ、若き久坂玄瑞の立像
城下町の近くにある「中央公園」の一角に、平成27年1月に建立されました。
松下村塾の双璧と称され、尊皇攘夷派を牽引して国事に奔走し、いまから151年前の元治元年(1864)禁門の変(蛤御門の変)にて25歳の生涯を閉じた久坂玄瑞。
吉田松陰から「防長年少第一流の才気ある男」と絶賛され、松陰先生の妹・文(大河ドラマ『花燃ゆ』のヒロイン)と結婚しました。
銅像の高さは1.8mで、台座を含めて3m。尊皇攘夷の先頭に立つ若き玄瑞の立像となっており、右手を上げて力強く東を指す、勇ましく凛々しい姿です。
国指定史跡 ”萩城城下町”
江戸屋横丁通り
江戸屋横丁には黒板塀の屋敷が並ぶ。木戸孝充旧宅がこの通りに面している。
「小さな町・小さな旅 中国・四国」 山と渓谷社 2007年発行
蘭方医・青木周弼の旧宅。
佐伯丹下家。
木戸孝充旧宅。
「御成道」
正面に田中義一大将像がどー−−−んと聳え立つ。
青木研蔵旧宅。
御成道を東へ進む。
御成道から伊勢屋横丁を見る。
右手は菊屋。
菊屋。
↑説明文を写す。
国指定重要文化財
菊屋家住宅
萩藩(毛利藩)の御用を勤め、藩を支えた豪商の家。
江戸初期に現在地に建てられた。
御成道に面し、伊勢屋横丁、菊屋横丁の南北二筋の小路にまたがる。
現存する大型の町屋として最古に属し、建築史上極めて貴重ということから
五棟(主屋・本蔵・金蔵・米蔵・釜場)が国の重要文化財に指定された。
「国指定史跡萩城城下町」および
「世界遺産明治日本の産業革命遺産」の構成の一つ「萩城下町」の
中核の文化財でもある。
邸内に美術品や民具、資料等を多数展示し、江戸時代からの文化や暮らしぶりが体感できる。
毛利藩の本陣・御用宅として藩主や藩の賓客をもてなした書院座敷や書院庭園も見どころとなっている。
写真左が菊屋で、
右は「旧久保田家住宅」。
御成道から「菊屋横丁」を見る。
菊屋横丁には白壁の蔵が連なる。
長州藩の御用商人だった菊屋家の住宅があったことから、その名がついた。
「小さな町・小さな旅 中国・四国」 山と渓谷社 2007年発行
田中義一大将像が近くなった。
像に行くには萩城内堀を渡らねばならない。
写真左手は香雪園。
藤田伝三郎の生誕地跡。
岡山市南区藤田に名を残す。
「萩城下町」A北の総門
BC
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2022年12月22日